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ペドロ・アルバレス (野球) : ミニ英和和英辞書
ペドロ・アルバレス (野球)[たま, きゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

ペドロ・アルバレス (野球) : ウィキペディア日本語版
ペドロ・アルバレス (野球)[たま, きゅう]

ペドロ・マニュエル・アルバレス・ジュニアPedro Manuel Alvarez Jr. , 1987年2月6日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手一塁手三塁手)。右投左打。MLBボルチモア・オリオールズ所属。
ニックネームはEl Toro(エル・トロ:スペイン語で「ウシ」の意)。代理人はスコット・ボラス
== 経歴 ==
ドミニカ共和国サントドミンゴに生まれたが、1歳の時に家族と共にドミニカ移民のコミュニティがあるニューヨークマンハッタンワシントン・ハイツ地区へ移り住む。のMLBドラフト14巡目(全体438位)でボストン・レッドソックスからに指名されたが、契約せずにヴァンダービルト大学へ進学。
MLBドラフト1巡目(全体2位)でピッツバーグ・パイレーツから指名を受けたが、代理人のスコット・ボラスマーク・テシェイラと同額の950万ドルの契約金を要求したため、交渉は難航した。交渉期限の8月15日深夜になって、パイレーツはアルバレスと総額600万ドルのマイナー契約に合意したと発表。しかし、ボラスが「交渉期限を過ぎていた」と交渉のやり直しを強硬に主張したため、MLB機構はアルバレスを制限リストに置き、交渉期限の延長を認めた。結局、9月23日に4年総額640万ドルのメジャー契約で入団に合意した。
、プロとしてのキャリアをスタートさせたアルバレスは、A+級リンチバーグ・ヒルキャッツとAA級アルトゥーナ・カーブ打率.288、27本塁打、95打点OPS.914を記録。特にAA級アルトゥーナに昇格後は打率.333、OPS1.009と活躍し、シーズン終了後には「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングで球団内1位、マイナー全体でも8位の高評価を受けた。
はAAA級インディアナポリス・インディアンスからスタートし、6月16日シカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビューを果たした。アルバレスの枠を開ける形で、岩村明憲25人枠から外された。6月19日クリーブランド・インディアンス戦でメジャー初安打を記録したが、6月は46打数7安打で打率.207、0本塁打、22三振に終わった。7月3日フィラデルフィア・フィリーズ戦でカイル・ケンドリックからメジャー初本塁打を放つと、7月20日-21日ミルウォーキー・ブルワーズ戦では2試合連続で2本塁打と5打点を記録するなど月間7本塁打を放った〔パイレーツの選手が2試合連続で5打点を記録したのは、1973年5月3日-4日アル・オリバー以来37年ぶり。〕。その後、シーズン終了まで三塁手のレギュラーとして出場し、最終的に95試合で打率.256、16本塁打、64打点、OPS.788という成績を残した。
は絶不調で打率が2割に満たず、7月にAAA級インディアナポリスへ降格した。
スプリングトレーニング中のオープン戦から物凄いペースで三振を量産し、ファンをやきもきさせたが、首脳陣はチームの鍵を握る存在として三塁の開幕レギュラーの座を与えた。開幕後もしばらくは三振の山を築いていたが、次第に長打が増え始め、前半戦のパイレーツの躍進に貢献した。最終的に打率.244、180三振ながらも30本塁打を放ち、類稀なパワーを見せつけた。
は、4月4日に打率が.100台に突入すると、そこから5月10日まで打率.200すら超えない状態が続く。。打率.200丁度で5月を終えたが、6月に4試合連続本塁打を含み、26試合で打率.309・10本塁打・24打点を記録〔。その後、打率こそ上昇の気配はなかったが、コンスタントに本塁打を放ち、ダイヤモンドバックスポール・ゴールドシュミットとタイで自身初の本塁打王(36本塁打)を獲得した。打点は100(リーグ5位)だった。三振については、2年連続の180超えとなる、リーグ最多の186三振を喫した。
1月17日にパイレーツと425万ドルの1年契約に合意した。レギュラーシーズンでは、メジャーに昇格してから自身初となる、三振を出場試合数以下に抑える事をした。一方、打撃三部門では打率.231・18本塁打・56打点に終わり、ここ3年で自己最低で、3年ぶりに30本塁打未満に終わる不本意なシーズンとなった。守備面では25失策を犯し、例年通りの拙守だった。この守備面での不安から、シーズンからは負担の減る一塁手へコンバートされることになった。
シーズンは、本塁打王に輝いた2013年シーズンに近い打棒を発揮した。OPSはレギュラー定着後では自己最高だった。一塁守備は23失策、DRS-14など壊滅的で、コンバートの効果はなく、むしろ拙守がより際立つ格好となった。12月2日、パイレーツから契約提示がなく、ノンテンダーFAとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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